マチネ開放企画 Vol.8 オスカー・ワイルド原作 「サロメ」

本報告書は2007 6/14-6/17 芸能花伝舎でのルームルーデンス公演 オスカー・ワイルド原作「サロメ」上演期間中に行われましたルームルーデンス主催のエデュケーションプログラムVol.8=マチネ開放企画の報告書です。
以下にその詳細を記し、今後の参考、指針にして頂ければ幸いです。

2006年後半から、2007.6に行われるルームルーデンスの「サロメ」へのエデュケーションプログラムへの参加高校を探していましたがなかなかうまくいかず半ばあきらめかけていた2007.4初旬、横浜緑ヶ丘高校在籍の黒澤さんからエデュケーションにぜひ参加したいと直接連絡がありました。その連絡をきっかけに8回目のエデュケーションが動き出しました。黒澤さんを中心に参加学生を集めていただき、以前から親交がありました丹下一さんに演出を依頼し、丹下さんが先輩でらっしゃる少年王者館の井村さんに出演を依頼し、ほぼ3週間後には顔合わせが実現いたしました。

芸能花伝舎(〒160-0023東京都新宿区西新宿6-12-30)

6/16
14.00
芸能花伝舎体育館特設会場 観客動員数70名

演出 丹下一(迦樓羅舎)
翻訳 日夏耿之介
音響 田辺久弥(ルームルーデンス)
照明 橋本剛
舞台監督 小野貴巳(Jet Stream)

ヘロデ 井村昴 少年王者舘
ヘロデヤ 磯部みなみ 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
サロメ 黒澤笙子 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
  西垣内日向子 横浜市立南高校
  佐藤瑞希 横浜市立みなと総合高校
  江頭麻美 横浜市立みなと総合高校
  川喜田茉莉 外語短大附属高校
  高村千紗 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
  水竹亜里沙 神奈川県立光陵高校
若きスリヤ人 石井大海 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
ヘロデヤの恃憧 西端花恵 外語短大附属高校
ヨハネ 佐々木崇人 神奈川県立桜陽高校

2007年 劇団ルームルーデンス エデュケーション・プログラム
「サロメ」 経過報告

丹下 一(構成・演出)

 劇団ルーム・ルーデンス主宰の田辺氏よりエデュケーション・プログラムのお話をうかがったのはもう大分以前のことになる。素晴らしい企画だと賛同しつつ日程的に難しいものがあり、なかなかお引き受けすることが出来なかったが、今回ようやくお引き受けすることができた。
この企画は、高校生がプロの演劇人と共同作業することによって、一般的な高校演劇の枠をこえた体験をし、演劇のより深い魅力の一端にふれ、将来他の舞台に観客として立ち会う時にも、演劇を重層的にみつめることができれば、というものである。

 今回は11人の高校生(高1男子1名、高2女子7名、高3男子1名、高3女子2名)が、6つの高校から参加した。うち10名が演劇部員、1名はチアリーダー部員だった。
それぞれの演劇経験は、「小学4年生から地元の劇団に参加していた」「中学校の演劇部で一人芝居をやったことがある」など経験豊富な生徒から、「2年生になって演劇部に参加したのでまだ舞台に立ったことがない」「演劇部にいたことも舞台に立ったこともない」生徒まで幅広かった。
また3年生の女子では、2005年度のエデュケーション・プログラム(「トゥーランドット」)に参加し、稽古を見に来てそのまま参加表明した生徒もいた。
またプロの俳優の参加者として先輩の井村昂さんをお願いした。井村さんは黒テントの創立メンバーの一人で現在は名古屋の少年王者館の中心的なメンバーであり、また舞台だけでなく映画やテレビでも活躍している。ただ日程的に難があり、稽古は5回ほどしか参加できなかった。

 稽古は10回ということだったが、まずマッピングなどの手法でソシオメトリーを取り、どのような参加者がいるかを自分を含め全員で認識してもらった。続けてチーム・ビルディングの作業に入り、お互いを深く知り合うようなエクササイズを続け、その過程で各参加者の特質を把握するようにつとめた。
1回目と2回目の稽古は、上記の作業にほぼ費やされ、2回目の稽古の最後に、テキストを最初から最後まで、2時間半かかったが声に出して読んでみた。
3回目、4回目の稽古では、午前中はチーム・ビルディングと自分を開くためのエクササイズを続け、「頑張らない」「無理をしない」「一生懸命」「リラックスすることが集中への第一歩」などがキーワードになった。
また、くじ引きで役を割り振り、丹下が抜き出したテキストの一部の本読みを繰り返した。

 日程を確認すると生徒たち全員がすべての稽古日程に参加できるのではなく、かなりばらつきがあることが判明。スケジュール表を作成して、それを元に配役の組み合わせを決めると伝えた。だが、ほぼ全員がサロメ役に興味を持ち、ほかに若い女性の役は一つしか考えられなかったので、「全員で楽しいことをやる」の原則にのっとり、7人をサロメ役とした。
西端さんは、稽古日程が他の人たちと少しずれていたのと、バレエなどを体験していて一人で立っても充分問題ないだろうとの予測の元にサロメではない役をお願いした。
最終的には「サロメのダンスのシーンで自分も踊りたい」と言ってくれたので、そのシーンのみダンサーとして登場してもらった。

 5,6回の稽古では、午前中にまずチーム・ビルディングのエクササイズで互いの信頼関係を構築し、続けて信頼の中で自分を開くというエクササイズ。同時に「複数の人間で様々な形を即興でつくる」「声を出さずにオファーを出してシーンをつくる」などの体験を重ねて行った。
そして午後は、台本を持ってもらいながらくじ引きで、サロメ・チームは台詞の担当部分をくじ引きで変えながら、他の人たちも役を変えながら立っての本読みを繰り返した。
7回目でほぼ役を確定した。サロメは7人。井村さんは、ヘロデ王。3年生で途中から参加した磯部さんを王妃ヘロデヤに。3年生の佐々木君はヨハネに。1年生ながら体験豊富な石井君をナラボトに。そしてナラボトを慕うスリヤ人に西端さんを。
男子のヨハネとナラボトは稽古の中で全員がそうなるだろうと理解していたので、自然な流れで決まった。
王妃ヘロデヤは少し悩んだ。もう一人の3年生、水竹さんも候補に考えたが、サロメの台詞を聞いているうちに、水竹さんの持つピュアな部分をサロメ役で生かしてほしいと思った。

稽古のはじめにシアターゲームやストレッチをしていくうちに、生徒たちの体はけっこうゆがんでいて、かなりのストレスを抱えている子どももいることがわかった。あるときは、全員に簡単な整体をほどこしたこともある。
古典ともいえる美しい翻訳を使用するにあたって、このことばが現代のティーンの肉体から吐き出されるには、ある濃厚な助走時間が必要だと思い「抑圧されている現代の少女たち」という設定から中東情勢を背景にすることを思いついた。
レバノン情勢および中東情勢は1983年より常に接してきたので身近なことでもあった。そして、たまたま起こったレバノン北部の紛争を背景に使った。

 登場する少女たちは、「限りなく自分に近い誰か」であり、「強い抑圧を感じている少女たち」である。その少女たちがサロメの世界に取り込まれていく、という設定でスタートした。そして、その稽古の過程でそれぞれのキャラクターを確認していった。

 佐藤瑞希さんは、舞台の経験がほとんどなく声もそれほど強くなかったが、非常に繊細なところで独特のやわらかい感覚がありプラスの方向、肯定的なやわらかい台詞をお願いすることが多くなった。江頭麻美さんは、身体に存在感もあり空間を裂く真っ直ぐな声の持ち主。高村千紗さんは強い存在感がある身体を持っている。川喜多茉莉さんは、とても自然体でそのままクレッシェンドしていける。黒澤笙子さんは深い素晴らしい声を持っていて、集中していくと顔もどんどん変わっていく。西垣内日向子さんは、独特の感性があり、ふとしたしぐさや座った時のたたずまいに面白いものがあった。

 この6人に前述した水竹さんを加えた7人でサロメをコロスで演じてもらうため、それぞれの声の質も確認しつつ、台詞の順番を考えるのはパズルを解くようで楽しい作業だった。最終的には、出演者の声の様々なパターンが自分の中にインプットされ、机上で考えたイメージ通りに稽古場が展開された時もあった。

 もちろんそれはスタート地点で、それぞれに次のステップを少しずつしめしながらゆっくりと確認していった。同時に稽古場の休憩時間にふと思いついて「ジンギスカン」(神奈川県の中学生が学校主催のキャンプなどで歌って踊るダンス)をやってもらったら学校ごとに振り付けが異なることが判明し、即座に取り入れようと決断した。その時の生徒たちがとても楽しそうだったからである。
ヨハネの首をどう表現するかは最後までまよった。実際に歯で噛むことができるものにしたいと思っていた。最終的にはキャベツや大根など様々な野菜にするか、りんごにするか迷ったが、野菜をかじる暴力性よりもりんごに脣が触れる瞬間の感覚をとった。

 このようにして作っていった構成台本だが、いわゆる戯曲ではなく、たたき台としての台本に過ぎないので、稽古のたびに細かい変更が出るのはもちろん大きな差し替えなどもあって、当初は生徒たちを戸惑わせたようだ。そして、全員に納得してもらうことが一番大切と思い、なぜそのように変更するのかは毎回説明した。
おかげで本番直前に劇場の機構の問題で大きな変更を余儀なくされた時でも彼らに動揺はなかった。するべきことがはっきりしていたからだ。

 舞台公演で「稽古が足りていた」ことは滅多にあるものではない。むしろ限られた時間の中で何をしてきたかが問われるものと思っている。今回、稽古10回ではさすがに足りず自主稽古を3回入れたが、最終的には全員が精一杯やったパフォーマンスだったと思う。

 そして、今回はクロージングも大切と考えた。予定外の日程で2名が参加できなかったのが残念だったが、井村さんも含めた10名で公演のビデオを観た後、振り返りのエクササイズを行った。これは大きな作業を終えた生徒たちの心をゆっくりと着地させるためのものだ。

 足掛け2ヶ月の稽古で、チームはとても強い絆で結ばれていた。振り返りでも「同窓会をしたい」「またこのメンバーでやりたい」などという声が相次いだ。自分にとってもありがたいフィードバックだった。高校生を対象に2ヶ月もの間自分の手法を実践したのははじめてのことで、このような機会を与えてくださった田辺さんに心より感謝している。

ユダヤの王ヘデロの寵愛を一身に受けている義理の娘サロメは、幽閉されている預言者ヨハネに好意を寄せ、禁衛軍の軍長ナラボーに古井戸からヨハネを引き出させるが自分の魅力に屈せず相手にされなかった。サロメにひかれているヘロデ王は何でも褒美を与えるとサロメに舞を望み、それを聞き入れたサロメは月光のもと7枚のベールを一枚づつ脱ぎ最後は全裸となる妖艶な踊りを披露する。サロメは褒美に預言者の首を望み、血の滴る生首にキスをする。異様な光景を見たヘロデは兵士達にサロメを殺させる。 19世紀末の世紀末文学を代表するオスカーワイルドの傑作戯曲。資本主義社会の悪徳を一心にサロメに投影させた退廃と幻想に彩られた珠玉の名作。

エデュケーションプログラム「サロメ」に参加して

外語短大附属高校 西端花恵

サロメ姫が七人、ダンスに振り付けはない、衣装はパジャマ・・・
二ヶ月間、私はその突拍子もない丹下さんの演出に毎度驚かされていました。でも、そのたびになんだか遠い世界だった「サロメ」が身近に感じられるようになっていきました。

「サロメ」ははるか昔の話ではありますが、いまどきの漫画や昼ドラに負けないくらいにドロドロとした複雑な人間関係が絡み合ってできた、ある意味閉鎖された世界だと思います。血族相姦、同性愛など普通ではない愛のかたち。その中でサロメのヨハネに対する愛はなんだったのか、未だにわかりません。
しかし、私の個人的な見解としては、これはサロメからすればハッピーエンドだったのだと思います。あんな風に燃え上がり、狂うような恋をし、好きな人と死んでいく。これ以上幸せなことがあるでしょうか。

一番初めに練習に参加したとき、正直周りのみんなの気迫におされ気味でした。あまり経験のない私なんかが参加していいのか、と思うくらいに。でも練習が始まるとすぐに、そんな心配もなくなりました。丹下さんの稽古では、経験だけがものを言うわけではなかったからです。一見、遊んでるような稽古。でもそこから学ぶものは今思えばたくさんありました。
私は丹下さんの「物知りさ」に非常に驚きました。国のこと、宗教、医学やマッサージなどなど、さまざまなことを知っていて、そこからどんどんと面白いアイデアが出てくるのが見ていてとても心地よかったです。
そんな丹下さんを見ていて演劇だけでなく、さまざまなことを貪欲に学び、知り、いつもアンテナを張り巡らせて多少の恥は捨てる。そんな目標を持ちました。

「サロメ」では私はサロメ姫を好きになりすぎて、自殺してしまう“ナラボト”の恋人で同性愛者(その辺の設定はさすがになくなっていました)の役をいただきました。初めはほかの女の子たちがみんなサロメの役なのに自分だけ・・・と悩みました。確かに私はみんなみたいにせりふがすぐに入ったり、せりふの読み方に工夫ができませんでした。けれどやる気では負けてないと思っていたから。その胸のつっかえは結構長い間続きました。けれど、これも、今になって思うとおいしい役どころだったなぁと思っています。もう一回演じたい!

私はこの「サロメ」で、日本語の美しさを知らされました。これぞ、「声に出して読みたい日本語」といった感じです。初めて脚本を読んだときはかなり難しくてつっかえつっかえでしたが、読めるようになってくると話していて楽しい、ほかの人が話しているのを聞いていて気持ちいい、と本当に美しくよくできている。「くちつけ」か「くちづけ」か、「ああ」の漢字までにこだわった訳者にも感銘を受けました。「舞をいたせ」「舞うてみせい」など命令言葉も「そなたを恋い慕うていまする」など愛の告白も、いやらしくなく、うるさくなく、本当に美しい。普段からこういう言葉を使うことはありませんが、このような機会をもっと設けて、美しい日本語を忘れないようにしていくことが今の若者に必要なのではないでしょうか。私はまた機会があったらこのように古い作品を演じたいと思っています。

また、このような機会があれば私たちの世界も広がってきます。自分の周りにはいなかった新しいタイプの仲間にはほかの人には通じなかった気持ちが通じ合ったりしました。同じ演劇をやっている仲間ですから、情報も交換できます。
私はこのような学校外での新しい出会いはとても大切なものだと思います。だから、このようなプログラムに参加できたことは財産になりました。
丹下さんやプロの井村昂さんもとても気さくで、最後のほうは一丸となっていてその中にいられたことが誇りでした。

最後に「サロメ」では月がずっとこの世界を見下ろしています。
「月は小さな銀貨のようぢゃ」「月は死んだ女人の掌のようぢゃ」
見る人によってそれは違ってくる。でもいつでも同じように月は月。同じように見下ろしています。忙しい日常の中でふと空を見上げることが多くなりました。


エデュケーションプログラム「サロメ」を拝見して

ルームルーデンス 代表 田辺久弥

エデュケーションプログラムを他の演出家の方に預けたのはこれで2回目である。信頼はしていても、「大丈夫ですかぁ〜」とたまに稽古場を訪れ、見学に行ったルーデンスの俳優から事細かに報告を受ける日々だった。まるで初めてのお使いや娘の初デートを尾行する親である。全く落ち着かない。そんな愛憎入り乱れる私からの申し込みを丹下さんは快く受けて下さった。そしてチームを造り、運輸し、昇華した。素晴らしい手腕である。勿論演劇とは人と人との出会いと作業であるのだから完全なる失敗というのはあり得ない。しかしエデュケーションプログラムは「失敗体験」をさせるための企画ではない。「成功体験」をさせたいが為の企画である。

学生の手前、プロは失敗してはいけない

エデュケーションプログラムとは実は参加する学生より、参加するプロが試される場でもある。演出家であればどんな条件でも高いレベルの作品に持って行かなければ行けないし、俳優であれば圧倒的な演技を披露するべきである。そんなアナログな圧倒差を前提にプロが学生と共に同じ目線で作品を創造する姿勢にこのプログラムの優位性はあるのだと思う。プロや大人が何もかも用意してあげてはいつまでたっても物事を切り開く体験は生まれず、自ら他者をシャットアウトする人格形成の量産を止めることは出来ない。
この企画も元小学校の体育館という、およそ演劇の公演には向かない空間を使用すると言う側面が、舞台面の使用方法の度重なる変更を生んだ。多分何もかもお世話する方が指導していては数回の変更に学生は誰一人ついてこれなかったろう。しかし現場では学生皆自分で考え動いていた。こういったチームを造るのが難しいのだ。そういうチームは指導を超え走り出す。私が何度もエデュケーションプログラムで体験したことがこのチームでも出来ていた。そうなれば自ずと観客への伝達はパトス(情熱)という弾丸で届くのだ。お越し頂いた皆様お一人お一人に聞くまでもない。私は側面から拝見し成功を確信していた。

このチームには以前にエデュケーションプログラムに参加した学生は一人しかいない。しかもその学生はプロとカップリングの役でアンサンブルには参加していない。やはりキーは初めてエデュケーションに参加している、そしてタイトルロールである「サロメ」を演じている女性陣だった。彼女たちが丹下さんが仕組んだ「サロメ」としてそこに居続けることが出来るのか?私の興味は実はその一点だった。

「サロメ」の遺伝子をもった女性陣がそこにいる。
リンゴを食べながらヨハネに求愛し円環するラストシーンを見ながら私はそう思っていた。

エデュケーションプログラムを最終的に判断する方法はプロの作品とは勿論違う。しかし「公演」という形態を取りいささかの入場料を頂く以上舞台芸術としてもしっかり問われていると思っている。その判断は決して観客が笑うことが物差しではない。それは出演者が情熱をもってお互いを見つめそこにいることである。
いやいや、それこそ難しいのだ。
プロでも出来ていない作品など平気でゴロゴロある。そこがやれたという実感が「成功体験」なのだ。なぜなら出演者が情熱をもってお互いを見つめそこにいることができれば、それが観客への思いという矢になり観客を打ち抜くからだ。打ち抜かれればその衝撃が「感想」を「感動」に変える。伝達というのはプロであろうが学生であろうが仕組みは変わらない。変わらないからこそエデュケーションプログラムと言う発想が現実化できるのである。

余白を借りて言わせていただければ、私は高校生だろうがとてつもない演技が出来、とてつもない作品を作れると確信している。だがそれには物事を見つめる真剣さが必要なのだ。問題は物事に真剣になる学生がいないのではなく、真剣になるものがないと思わせてしまっていることにある。それは決して学生側の問題ではなく物事に真剣になっている大人が少なくなっている証左なのだ。

学生達が数ヶ月丹下さんと挑んだ「サロメ」は、彼・彼女たちの中にどのような種を植えたのか。全員に植わったこの実感を育てるのはもう丹下さんではない。後は自分で水をやり続けるしかないのだ。ラストの円環の中、妖艶に求愛する彼女たちを見、カーテンコールでのあどけない顔を見、よくよく演劇とは第一次産業なみの時間がかかると実感した。しかし私はそう思える芝居を素晴らしいと思っている。

サロメ出演者の皆さんへ
皆さん。あの時間、確かに皆さんは生き輝いていました。生き輝いていたなんて事は実感出来ないかも知れませんが、確かにそうでした。私はそれを見たくて、見続けたくてエデュケーションプログラムを続けてきました。それを見せて頂きまして有り難う御座いました。また引っ張り続けた丹下さん、フォローアップをして頂きました井村さん、大変有り難う御座いました。素晴らしいお仕事でした。

「始まり」は様々な「終わり」の集積かも知れません。今度は違った出会いをするやも知れません。それでよいのです。その時はまた新たに作品を作りましょう。その時まで是非皆さん壮健でいましょうね。