マチネ開放企画 Vol.2 オスカー・ワイルド原作 「サロメ」

本報告書は2003 11/13-11/16 麻布Die Pratzeでの日本ろう者劇団+ルームルーデンス合同公演 オスカー・ワイルド原作「サロメ」上演期間中、そして私立女子聖学院高校のご好意により使用許可を頂きました校内礼拝堂=チャペルにて2003 11/29に行われましたルームルーデンス主催のエデュケーションプログラムVol.2=マチネ開放企画の報告書です。
以下にその詳細を記し、今後の参考、指針にして頂ければ幸いです。

年5月に行いましたエデュケーションプログラムVol.1「エレクトラ」に参加していただきました私立女子聖学院高校と神奈川県立横浜緑ヶ丘高校へ、プログラムVol.1終了後、日本ろう者劇団+ルームルーデンス合同公演 オスカー・ワイルド原作「サロメ」公演時のエデュケーションプログラムへの参加をお願いいたしました。本公演がろう者と健聴者、そして日本ろう者劇団とルームルーデンスの合同公演ということから、両校の合同公演を提案させて頂き、了承を得、実現に至りました。

麻布Die Pratze (〒106-0044港区東麻布1-26-6-2F TEL&FAX 03-5545-1385)
私立女子聖学院高校内チャペル (〒114-8574北区中里3-12-2 TEL 03-3917-2277/FAX 03-3917-3680)

11/15
14.00
麻布Die Pratze 観客動員数90名
11/29
14.00
私立女子聖学院高校内チャペル 観客動員数70名

演出 田辺久弥(ルームルーデンス)
翻訳 日夏耿之介
美粧 廣川麻子 (日本ろう者劇団)
  鈴まみ (日本ろう者劇団)
  山本みどり (日本ろう者劇団)
  佐沢静枝 (日本ろう者劇団)
音響 斎藤瑠美子
照明 宮岡美智子
舞台監督 大根田真人 (ルームルーデンス)
衣裳協力 福井希

ヘロデ 平島聡  
ヘロデヤ 青山のぞみ 私立女子聖学院
サロメ 柿澤亜友美 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
サロメのコロス 赤迫沙喜 私立女子聖学院
  中澤友佳 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
  高木菜緒 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
若きスリヤ人 荒野咲 私立女子聖学院
ヘロデヤの恃憧 奥本聡 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
ヨハネ 杉山悠史 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
ヨハネのコロス 松原桃子 私立女子聖学院
  緒方麻衣 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
  小柳弥生 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
  宮田知果 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
ナアマン 棚橋俊輝 神奈川県立横浜緑ヶ丘高校
作曲・演奏 亀岡夏海  

私立女子聖学院+神奈川県立横浜緑ヶ丘高校 合同公演「サロメ」

2003年5月の「エレクトラ」上演終了後、両校顧問の先生に合同公演の相談をさせていただきました。当初、私共は同年9月に予定されておりましたギリシャ-スイスツアー=Japan Nowへの参加、日本ろう者劇団との合同公演の稽古が8月から始まるなどスケジュールの調整を必要としているほどの状況でしたので「エレクトラ」が終わるまではVol.2の展開は考えておりませんでした。
 しなしながら「エレクトラ」に於きまして千賀ゆう子さんという大物女優と渡り合おうとした女子聖学院、私の演出に食いついてきた緑ヶ丘高校とも「エレクトラ」終演後、皆さんの演劇に対する姿勢が明らかに変わったのを実感するに至り、是非よりレベルの高い作品創作に関わって頂きたくVol.2としての合同公演を思い至りました。
 私共も海外公演やろう者劇団とのコラボレーションなど様々なアプローチの中から「他者」を学んでいます。「演劇」は「言語」を使う以上、同言語、同生活圏を持つもの同士の方がより安易に作品を創作することが出来ます。しかしそれは得てして同言語、同生活圏でしか共有できない結論しか導き出さないことが多々あります。いままさに必要な人材、そして未来に通用する人材とは「私を知り、創り、他者を知り、そして許容し、他者と未来への作業が出来る人材」であると確信します。そうであるなら「私」の形成と「他者」の理解はより若い段階から「身体」として感じ続けるべきです。そこに身体芸術、言語芸術、空間芸術を他者とのコミュニケーションによって積み上げ、編み上げていく「演劇」が教育に寄与できる点は正にこの点にあります。この接点の全くなかった両校の合同公演はこのエデュケーションプログラムの大きな試金石でした。

本作品は当初からピアノの生演奏を考えておりましたので作曲家の亀岡夏海さんにご参加いただき、またプロの俳優としてフラメンコの舞踏手でもいらっしゃる平島聡さんにヘロデ役をお願いいたしました。
また稽古場は10月までは両校で振り分け、以降は日本ろう者劇団の本拠地兼稽古場でもある社会福祉法人トット文化館で行いました。

6/14(聖学院)7/12(聖学院)7/19(緑ヶ丘)7/26(緑ヶ丘)8/2(緑ヶ丘)8/9(緑ヶ丘)8/16(緑ヶ丘)8/23(聖学院)8/30(緑ヶ丘) 9/6(聖学院)10/11(トット)10/25(トット)11/1(トット)11/8(トット)11/9(トット)11/12(麻布)11/26(聖学院)

合同稽古実施日は上記の通りです。6/14は顔合わせ、読み合わせを致しました。日夏訳は文語混じりの口語の上、詩人日夏の珠玉の言葉に彩られています。難読語に関しては分担の上、自身で調べることをルールと致しました。7/12は女子聖学院の普段の身体訓練を緑ヶ丘に、7/19は緑ヶ丘の普段の身体訓練を聖学院に教えあい、7/26にキャスティングを行いました。8月中にラストシーン以外のラフスケッチを完成し、9/6ラストシーンに関して初めての全体ミーティングをお願いしました。10月に入り、作曲家の亀岡さん、ヘロデ役の平島さんが参加を初め各シーンの詰めに入りました。11/9最終稽古に於いてラストシーンに関しての第2回目の全体ミーティングを行いました。どういった感情を表現して自分たちの「サロメ」を終わりたいのか、どういった感情をお客に伝えたいのか、この一点に絞ってミーティングをしてもらいました。こうして出た結論を元にラストシーンを創り11/12麻布Die Pratzeにてリハーサル、11/15に本番を行いました。11/26女子聖学院チャペルにてリハーサルを行い、11/29に本番を行いました。

ユダヤの王ヘデロの寵愛を一身に受けている義理の娘サロメは、幽閉されている預言者ヨハネに好意を寄せ、禁衛軍の軍長ナラボーに古井戸からヨハネを引き出させるが自分の魅力に屈せず相手にされなかった。サロメにひかれているヘロデ王は何でも褒美を与えるとサロメに舞を望み、それを聞き入れたサロメは月光のもと7枚のベールを一枚づつ脱ぎ最後は全裸となる妖艶な踊りを披露する。サロメは褒美に預言者の首を望み、血の滴る生首にキスをする。異様な光景を見たヘロデは兵士達にサロメを殺させる。 19世紀末の世紀末文学を代表するオスカーワイルドの傑作戯曲。資本主義社会の悪徳を一心にサロメに投影させた退廃と幻想に彩られた珠玉の名作。

神奈川県立横浜緑ヶ丘高校演劇部顧問 高橋俊夫

 昨年11月15日、麻布Die Pratzeにおいて、ルーム・ルーデンスの田辺久弥氏演出による高校生版「サロメ」が上演された。この舞台は、田辺氏が高校生達に行うエデュケ?ション・プログラムとして実施されもので、田辺氏は、女子聖学院・横浜緑ヶ丘高校両校の生徒達と半年に渡る共同作業を行いその成果をこの日の舞台にかけた。結果は、学生演劇の域を遥かに越えたすばらしいものとなった。もちろん、より巧妙な演技や鍛えられた肉体により演じられる「サロメ」は他にいくらでもあると思う。しかし、この日の高校生版「サロメ」は、技術はともかく、この劇の本質に十分肉薄した、他に変えがたいものであったと思う。 戯曲「サロメ」の本質とは何か。作者オスカー・ワイルドは、ヴィクトリア朝を反逆児として生き抜いた人物であり、歴史上屈指の耽美主義者でもある。「サロメ」は、そんな彼が作り上げた背徳のドラマであり、彼が思い描いたもう一つの聖餐の儀式でもある。「サロメ」の上演にはそうした要件が描かれていなければならない。どんな巧みな演技で演じられても、どんな美声で歌われても、どんな見事な踊りがあったとしても、そうした要件が描かれなければ、ワイルドの「サロメ」は、表現として成立しない。この日の公演は、そのあたりの「サロメ」の要件をしっかり表現した真摯なものであった。高校生版田辺「サロメ」は、ワイルドのものに相応しい異教的な格調と荘重さを持っている。あるいは、ワイルドが生きた後期ロマン主義の時代の雰囲気を感じさせる。音楽に例えるなら、ブルックナーかマーラーような様式感と悲劇性を持っている。田辺演出は、そうした味わいと骨太な構成力を兼ね備えたものであった。ドラマは、麻布Die Pratzeの暗黒の空間の中、まるでブルックナーの開始のように静かにしかも厳かに始まる。前半部分は全体に渡り、息の長いクレッシェンドがかかり次第に盛り上がっていく。サロメ、ヨハネ、スリヤ人、恃憧、ナアマンといった登場人物たちと、二つのグループに分けられたコロスが絡み合う。癖のない役者達のアンサンブルが極めて心地よい。亀岡夏海氏の音楽が、劇の進行にしたがい、ある時はスクリャービンのように、ある時はラヴェルのように響きドラマを支えていく。暗黒の空間の中、カラバッジオかレンブラントの絵画で見られるような照明が役者を浮き立たせる。特に、物言わぬ首切り役人ナアマンの姿が美しい。そして、若きスリヤ人の自害でドラマは前半のカタストロフを迎える。そのカタストロフの後、舞台にヘロデとヘロデアが登場する。ヘロデとヘロデアの演技は、それまでの役者達の演技とは別種の感触を持っている。まるで、レガートを主体にして静かに盛り上がっていった音楽にスフォルツァンドやスタッカート等を含んだ表現が加わったように、舞台には、それまでにはなかったおどけ、苦さ、諧謔性が表現され、雰囲気が大きく変わる。田辺演出は、このヘロデとヘロデアの登場からサロメの舞、ヨハネの首ヘの希求までの部分を「サロメ」全体の中を一つの楽章のように捉えている。ブルックナーやマーラーに例えるなら、それまでがアンダンテかアダージョで書かれた1,2楽章であり、ここはスケルツォだ。ゆったりじっくりと進む前半部やこの後、消え入るようにして終わる終結部に対して、この部分は不安定な運動性にあふれている。他の部分が暗さの中全体としては美しいアンサンブルを誇っているのに対して、ここでは、対立、混乱、混沌が表現されている。そして、これらの対立、混乱、混沌を一気に解決するかのように、物語は最終章フィナーレ、サロメの死へと流れ込む。西洋古典派において、フィナーレは物語の落としどころ、解決編である。ベートーヴェン達古典派時代のハッピーエンドのフィナーレに対して、戯曲「サロメ」のフィナーレは、後期ロマン主義の時代に相応しく複雑な味わいを持ったものになっている。全てを忘却しヨハネの首にすがりつくサロメ。自分に対してあくまで正直であろうとしたサロメ。その結果としてのサロメの死。そうしたサロメのあり方に対するワイルドの全面肯定。高校生版田辺「サロメ」では、全ての表現のエネルギーがここに集約され、最高の哀感を持ってサロメが見つめられていく。ワイルドの立場はきわめて虚無主義的であり、宗教道徳の立場から見ても世俗生活者の立場から見ても背徳的であり危険である。しかし、欺瞞に満ちたビクトリア朝の道徳に生涯逆らい、美の殉教者としての立場を貫いた彼の志の高さを我々は評価しなければならないであろう。それゆえに、我々は、ワイルドのそうした覚悟を思い知らせるような舞台に接すると感動するのである。あの日、サロメが悦楽の表情を浮かべながら抱えていた銀の器の上には、客席からヨハネの首とそこからあふれる血糊がはっきり見えた。この法悦感と血を描けてこそ戯曲「サロメ」は、ワイルドがキリスト教のミサに変わり得るものとして設定した聖餐の儀式になり得るのであるし、ワイルドの強い思いを我々に感じさせ、感動を誘うのである。そして、高校生版田辺「サロメ」の大団円。サロメの死。レクイエムの中、全ての登場人物が消えていく。きわめて悲劇的で虚無的。呪われたものの行く末。しかし、行き着く先が絶対の無であろうが地獄であろうが、恐れずに対峙し、耽美主義者としての自分の立場を守り抜こうというワイルドの思いを敷衍した表現であり感動的な終結であった。
私は、緑ヶ丘演劇部の顧問としてこの舞台制作に側面から関わり、進行の過程を観察することが出来た。解釈の大枠を田辺氏が提示し、その枠内で二校の生徒達がにぎやかに議論しながら舞台を作り上げてきた。全体のヴィジョンは勿論田辺氏のものであるが、生徒達も主体的に役作りに取組んだ。両校の役者達が見せた演技・アンサンブルは見事なものであったが、決してお仕着せのものではない演じる喜びにあふれたものであった。機会さえあればまだまだ生徒達は成長するに違いない。関係者諸氏に感謝しつつそんな明るい希望を感じることが出来た舞台であった。

神奈川県立横浜緑ヶ丘高校演劇部 柿澤亜友美

 私が今回このような企画に参加する事ができての、まず第一の感想は、『楽しかったー★☆』というコトです!!!毎回毎回の練習が楽しみでたまりませんでした。普通に演劇部として活動しているだけでは出会えないたくさんのコトに出会えたと思います。はじめにこの話をいただいた時私達は、「あー・・・もぉエレクトラ終わっちゃったんだねぇ;」とさみしく思っていたので、とても喜びました。お互いあまり知らない学校どうしが一緒に芝居をやるってどんなだろう?それに、また田辺さんの演出で舞台に立つことができるというのはスゴク魅力的なお話でした。はじめの頃には、お互いの学校の基礎練や発声を教えあったりしました。緑高とはまったく違う女子聖さんと(東京と神奈川だったり、女子校と共学だったり、基礎練のやり方だってぜんぜん違うのです!)一緒に芝居をするというのは、本当に大変なコトでした。まずは仲良くならなきゃ!!!と思ったり、緑だけで学校で練習するにしてもキャストが穴あきで大変だったり、最初から最後まで焦りっぱなしでした。しかし、練習を重ねていくうちにうち解けてきて、いまではすっかりステキな仲間どうしです!!! 今回のサロメでは、団体勝負の役が二つありました。「サロメのコロス」と「ヨハネのコロス」です。この間の「エレクトラ」では、同じ学校の5人で1人を演じるのも、毎日話し合ってもキリが無いような状態だったのに、他の学校と合同で果たしてできるのだろうか?そう思ったとおり、2つの団体とも、とても苦戦しました。少ない合同練習も、みんな忙しくてなかなか全員集まらなくて、休んだ子の分をフォローしたり。そんなこんなで、今回の公演では普段以上に1人1人の努力が必要でした。それは他の役の人も同じです。限られた時間を有効に使うため、個人がしっかりと家で考えてきて、集まった時に一気に話し合うというような形をとっていきました。また、みんなでエンディングについてじっくり話し合ったこともありました。それから、「ヨハネのコロス」の方では、毎回の練習にむけて、新しい動き・ネタを考えなくちゃ!!!とみんな必死でした。そのおかげもあって、この作品に最も私達らしさを出せたおいしい役だったと思います。また、亀岡さんのピアノ生演奏も大きなポイントだったと思います。あっという間に「サロメ」にぴったりな曲を完成させてくださって、びっくりしました!!!プロってすごい!!!それから、ヘロデ役の平島さんも田辺さんも迫力たっぷりで、学ぶことがたくさんありました!どちらも違った色で、でもヘロデで、スゴカッタデス!私達がのびのびと舞台上で演じられたのも、安定したお二人の力あってこそだったのだと思います。また、衣装と化粧はろう者劇団さんに大いにお世話になりました!なれない着物や化粧を味方につけることができたのも、みなさんのおかげです。15日、29日と2回も公演することができたので、さらにじっくりと取り組むことができました。 この機会は、私達高校生に、本当にたくさんの「良い刺激」をあたえてくれました。高校演劇の中だけでは気づかなかったコト、演劇の楽しさ、演劇の奥深さ。本当に本当に勉強になりました。見に来て下さったお客さんの意見は賛否両論ですが、それ以上に「私達自身の力になった」公演だったと胸を張って言えます。テストやら、大会やらと、ホントに忙しい中での挑戦でしたが、大変だった分良い経験になったこと間違いなしです。17歳という若さにして大作「サロメ」に挑戦できたコトを本当に嬉しく思います。

女子聖学院演劇部顧問 筑田周一

 「サロメ」合同公演は、五月の「エレクトラ」の上演に続き、二回目のエデュケーションプログラム参加の機会となりました。しかも、今回は横浜緑ケ丘高校演劇部の皆さんとの合同公演ということで、普段触れ合うことのない、他地域の演劇部の方とどのように一つの劇を作り上げていくか、演出家の田辺氏の指導に注目していました。
 テキストは日夏耿之介による文語体のものでした。普段全く目にすることのない言葉の意味調べから部員達は活動を始めました。六ヶ月近くあるとは言うものの、実際に集まって稽古ができる日は限られています。夏休みが中心ということで、なかなか全員が集まらないという状況が続きました。このような場合、自分だったらどうするだろうかと考えました。おそらくは「あてぶり」に近い状態で、動線の整理をしていって、そこに生徒の動きを当てはめてしまったと思います。しかし、田辺氏の手法は「徹底して話し合わせる」というものでした。見ていて実にじれったくなるほど、両校の部員達は車座になっては延々とテキストの解釈について意見をぶつけ合っていました。時には全体で、時には役ごとに集まって。しかし、一見迂遠に見えるこの作業が、最終的に演技の質を高めていったのだと実感しました。演出に関しては田辺氏はプロですから、さまざまな手法を駆使することができます。ただ、その演出に乗って演技するときに、彼らがそれを血肉として演じているのか、ただ、動きだけをなぞっているのかで、見るものに訴えかけてくるものは全く異なってしまうでしょう。そしてそれは、彼らが話し合いをするに足る資質を持っているという洞察の下、田辺氏が取った大胆な手法でもあったと気付きました。テキストが同じでも、演じる者が変われば、その芝居は全く異なったものになります。そして演じるものへのアプローチの方法も、変わってくるのは必然です。しかし、得てして、学校教育に携わるものとして、そうした柔軟性、多くの引き出しを持っていない場合があるのではないか、そうしたことを今回の合同公演を通じて痛感させられました。(演劇に留まらず、自分の指導方法に固執することなく、生徒の実情に対応できるよう学び続け、研鑽を積んでいくことが我々教師にも必要ですね。) 
 それにしても、緑ケ丘の部員の皆さんの発想力の素晴らしさには、稽古の度に驚かされました。日夏耿之介氏のテキストが実に豊潤な世界であることも事実ですが、その世界を若い感性で切り取ってくるその切り口が何とも新鮮でした。部員と一緒に顧問も多くのことを学ばせていただきました。
 また、実際にルームルーデンスと日本ろう者劇団の皆さんが合同で芝居を作り上げる場面からも多くのことを学ばせていただきました。同じ役の役者の方から様々なお話しをうかがうことで、自分の演技にも様々な刺激を受けたようです。 このように、プロの演技者と高校生が出会い、演劇というものに対する目を養っていくことができる機会が、恒常的なものとして社会に定着していくことを願って止みません。

女子聖学院演劇部部長 青山のぞみ

 何かを始めるときに不安は付き物だ。このサロメも最初は本当に不安だった。緑ヶ丘高校の子達はエレクトラの発表を見た時から、そのレベルの差には呆気にとられまくりだったわけで。と同時にほのかな劣等感もにじんできていたわけで。「参加人数だってうちの部より二倍はいる!どうしよう!」何がどうしようなんでしょうと聞きたいぐらい本当に真っ白な不安だった。仲良くできるか、演劇成り立つんだろうか、田辺さんは何者!?(笑)尽きることのない不安の中、「不安なのは皆一緒さ、へへん?」と気の小さい私はしょっちゅう自分で自分を励まし、部員と励まし合い、励ましまくっていた。ほんとに不安だったんですよ。
でもあら不思議、演劇って本当にすごい。このサロメという劇を、共に考え、悩んで作り出すという作業は毎週毎週私に刺激を与えてくれた。それはもう不安というレベルを超越したもので何より不安って何だったのだろうってぐらい緑っ子達はひょうきんで明るく接してくれた。サロメに参加して良かったと思う一番の理由もそこだろう、たくさんの人に知り合えたということ。田辺さん、緑ヶ丘の皆は勿論、亀岡さん、ルームルーデンス、ろう者劇団の皆さん、私と出会ってくれたすべての人々はほんとに全くもって光り輝いていた。そこにはただただ良い劇を作りたいという想いだけが活きていたのだ。勿論我が校の筑田先生もがんばったがんばった。公演の際先輩や他部員も駆けつけてくれて、いろんな人が支えてくれて成り立つのが演劇なんだな、とひしひしと感じた。
ほかにも文にできないくらい感じまくったことは山盛りだ。いや地球盛りだ。だが結局何が言いたいかって、今回私は不安を抱きつつ、勿論途中何度も妥協しそうになったり、失敗したりしつつも心から参加して良かったと言える自分がいるということ。そして沢山の人の力が活きる中、こんな私も混ざってがんばれたんだということ。
 私にとって「何かを始めるのに不安は付き物」の中取り組めたのが今回のサロメだ。これから先、またこういったチャンスと呼ばれる何かが転がってきたとき不安だっていいじゃんという心持ちで、とにかくかぶりつけ。今回の活動は私にそう教えてくれた気がした。
皆さんほんとにお疲れさまでした。出会えてホントに良かったです。


女子聖学院高校3年 渡部朋子

11月29日学校のチャペルでサロメが上演されました。エレクトラの時にお世話になったルームルーデンスの田辺さんに演出して頂き、15日にも違う場所で上演したそうです。しかし、一回上演したと言ってもチャペルという特異な場所での上演ということなので、一体どのような形になるのだろうかと思っていましたが、チャペル全体を使った立体感のある演出に、高校演劇では到底考えも及ばないものを感じました。演劇部は年に一回の大会以外、あまり他の学校と交流することがないため、今回のように他の学校と一緒に1つの劇を作るというのは部員にとってもよい刺激になると思います。同じ部活内だとどうしても慣れのようなものが生まれてしまって、多少甘えのようなものが出てしまいますが、他の学校と一緒に演じることで場の空気を読み、相手の呼吸を読む力が着いてくるようにおもいます。また高校生ではあまり発想できないことでもプロの方と一緒にやらせて頂くことにより新しい発見が生まれ知識が深まり次に生かせるようになるのだと思います。まだまだ回数は少ないですが私はこのような機会が増えていくといいなと思いました。

作曲家 亀岡夏海

 今回基本的に全面音楽ということでしたので、場面ごとの特徴を持たせつつ登場人物ごとにテーマを作曲し、現代音楽の様な難解なものは避け、更に舞台音楽として音楽が主ではない、音響的にストーリーをバックアップするエンターテインメントに徹するよう心掛けました。
 主要なテーマはサロメとヨハネ。サロメが感情に左右される人間らしい流動的なテーマに対し、ヨハネを「静」として冷静沈着だが影響力のあるテーマで強調しています。これらのテーマを全体的に散りばめた上で場面場面に色を統一し、「サロメ」は大きく2つの山場があるので、それに対しての盛り上がりや進行などの構成を綿密に組み立てました。しかし、舞台とともにリアルタイムで演奏するのは予測不可能なもの。ピアノ1本の自演でしたので、リハーサルより長かった部分・短かった部分は即興でカバーしながら乗り越えました。結果、舞台的にも音楽的にも充実し、双方の芸術的バランスはとれたと思っています。音量に関しましては、ディレクターの田辺さんと事前打ち合わせがあまりとれなかったことに加え、麻布Die Pratzeではキーボードによるデジタル出力であったため、抑揚の効果がなかなか表れなかったのに対し、女子聖学院のチャペルでのグランドピアノやパイプオルガンでは音がよく通り、限界まで抑えても響き過ぎた感もありました。通常、舞台においての生音との共演は珍しいもの。タイムングを合わせるのが困難な上に、バランスが崩れることもあれば、舞台そのものを消してしまう恐れもあります。ですが、日常溢れるシチュエーション、例えばドラマにせよ映画にせよ、音楽はストーリを色づけするにおいても大変重要で効果的です。
 是非今後もこういった共演に挑戦して欲しいです。最後になりましたが、皆様お世話になりました。お疲れさまでした。