The Princess Long Night and The Ear Man 2nd

During a break

先日の11/28に2009のトゥーランドットの最終報告会において、エデュケーションプログラムを全面的に終了する旨を参加学生にお伝えいたしました。ウェブに於きましてもその旨を発表いたします。

ルームルーデンスは2003年より続けて参りましたエデュケーションプログラムを、トゥーランドット2009にて終了いたします。

思えば2001年、初の海外公演から帰国し、プロの劇団としてやるべきことの一つとして本企画を思考し、2002年1年間をかけて東京、神奈川、千葉の数百校にコンタクトをとり2003年5月に第一回のエデュケーションプログラムをギリシャ悲劇の「エレクトラ」を上演してから6年間、10回以上の成果を得ました。当時の学生は24歳になり社会人になっています。

この6年間マチネ開放とトゥーランドットという二本柱で200人以上の学生と関わってきました。何度か他の演出家の方にお願いをいたしましたがほとんどの作品を演出し、学生とつきあえたのは望外の喜びです。
特に2005年5月に行いました「夜長姫と耳男」ではルーデンス、千葉県立君津高校、横浜の学生チームという3団体を同時に演出をし、すべて違う演出により行えたことは舞台演出家として大変有意義な経験をさせてもらいました。
2007年のサロメ以降マチネ開放企画は出来ませんでしたが、最後の公演となりましたが「トゥーランドット2009」において開港150周年記念事業として初めてエデュケーションプログラムが他都市で行えたことはこの企画の正当性を実証出来たと自負しております。

出演して頂いた学生の皆さん、顧問の先生方、協力して頂いた劇場の皆様、掛け替えなど影から協力して頂いたルーデンス側の出演者の皆様、時間のない中最大限の仕事をして頂いたスタッフの皆様、助成金を頂きました団体様、後援名義を頂きました団体様、寄付を頂きました個人様、そしてご覧頂いた観客の皆様、本当にありがとうございました。

6年間10数回の奇跡が行えたのはひとえに皆様のおかげです。この場をお借りいたしまして改めて御礼申し上げます。

ありがとうございました。

なお【ハマッち!】8/18でのブログ「真逆こそ真なり −若者に向けて」を改訂した文をこの企画に参加して頂いた学生諸君に送りこの企画の終了とさせて頂きます。6年間ありがとうございました。

トゥーランドット2009報告書

ルームルーデンス 演出 田辺久弥


真逆こそ真なり −若者に向けて

トゥーランドット09を終えて

雑感

「人に迷惑をかけてはいけません」

ご家庭や学校で繰り返し繰り返し刷り込まれてきたであろう訓辞は果たして正しいのだろうか?私は最果ての地、宗谷岬の風を浴びながらこんな事を考えていた。

「人に迷惑をかけてはいけません」

確かに正しい。正しく聞こえる。万人が否と唱えにくい標語だろう。私はこの標語が流布している証左を至る所で感じる。結果、苛立たしい現場の中で感じるのである。

私は「人は迷惑を掛け合う物」だと思っている。多かれ少なかれ人は人に迷惑をかけながら生きなくてはならない。なるほど自制としては「人に迷惑をかけてはいけません」は効力がある標語なのだろう。しかし幼い頃からこれを刷り込まれてはとんでもない物を失い続ける、と言う確信に近い物がある。

人は互いに迷惑を掛け合う物なのだ。

日常にこれほど携帯が流布し、メールが一般化した今、恒常的に端末には「迷惑メール」が届く。業者も商売である。100に1つの確率で物やサービスが売れるのであれば万というメールを打つのは必定である。それこそ資本主義である。けれどそれを受ける側の大多数はそれを迷惑と感じる。どんなにフィルターをかけても届いてくるむやみなメール。それを完全に遮断する方法はたった一つしかない。

携帯を持たないことである。

端末さえ持たなければ攻撃的なプッシングメールはきようもない。しかし現代ではそれはコミュニケーションを遮断するに等しい。

学校、職場、市民活動。パブリックな場で迷惑メールを拒むことは、等しくデスコミをコミュニケーションの一手段として取り入れると言うことだ。

「人に迷惑をかけてない」ことはいつしか「人は人、自分は自分」という自己防衛の手段に容易に変貌していく。それが若者にまで蔓延している実感を得てから3年がたった。

私はいつでも思う。それは若者の責任ではない。若者は必死に鏡合わせをしているのだ。若者に未来を託すには、若者に見られている私たちが何をしているか?それこそが問題なのだと。

と同時に若者には自分で何かを得る、切り開く、挑戦する権利があることを取り戻してもらいたい。「人に迷惑をかけてない」が「人は人、自分は自分」にすり替わり、他者との関わりを紡ぎ個人では出来ない大きな事を成せることすらわからなくなった若者に「人に迷惑をかけなければ出来ない素晴らしいこと」を取り戻してもらいたい。

握った拳で物が掴めるのはドラえもんだけである。私たちはドラえもんでない。所詮はのび太である。握った拳は人を殴ることだけが得意だが、拳を開けばそれは手になる。開いた手を使えば人間は月にも行けてしまった。握った拳では人はハグできないのだよ。ハグできないだけでも考えようによっては「迷惑」なのだ。であるなら人に迷惑をかけないことなど不可能なのだと言うことを知ってもらいたい。それなら拳を開けば良いではないか。拳を手にすれば少なくともシェイクハンドが出来るぞ。シェイクハンドが出来ればお互いを見つめ合う土俵に乗ることが出来る。

シェイクスピアの「マクベス」で魔女は言った。「綺麗は汚い、汚いは綺麗」

真逆こそ真なり

世の中に絶対の正解などない。一つの正解があれば必ず真逆に同じ質量を持った正解がある。

私はいつでも思う。資本主義にしろ、社会主義にしろ、世の中のほとんどのことは誰かが得をする為に作られていると。パブリックサービスなる言葉すら10年前にはなかった。自然界には2:8の法則という物があるそうだ。全体の2割が全体の8割の資産を確保し、全体の8割が全体の2割の資産を分け合っている。演劇と同じように人間同士が営む物に完成はない。民主主義であろうが資本主義であろうがそれは大きな流れの過渡期の一形態なのだ。今の世界が永遠に続く正解ではないことがわかれば、若者がまず気付かなくてはならないことは「真逆にも可能性がある」事なのだ。

1+1=2が正しいのだろうか?1+1=2だからこそ為し得る物はある。たくさんある。でもそうでなくとも為し得る物だってたくさんあるのだ。

言いなりになるな、と私は言いたい。
自分で考えろ、と私は言いたい。
人に求めろ、と私は言いたい。
七転八倒しろ、と私は言いたい。
そこが世界だ、そこで飛べ、と私は言いたい。

私の師、寺山修司は60年代70年代に若者にこうアジった。

「書を捨てよ、町へ出よう」

書は私、町は人だ。答えは町にある、人にある。世界にあるのだ。そんなみみっちい横浜の中で何をしているのだ。函館の先には日本の最北端があったぞ。その先にはサハリンが見えたぞ。そこに行くフェリーに乗るにはパスポートが必要で、たかだか2.3時間でロシアに行けたぞ。内陸まで行ってシベリア鉄道に乗り継げば数日後にはモスクワだ。南下すればヨーロッパのどこにだって行ける。

函館には同じ若者がいただろう。神戸にも新潟にもいただろう。本当は長崎にもいたんだよ。ならサハリンにも、モスクワにも、サンクトペテルブルクにも、ベルリンにも、ブカレストにも、キエフにも、パリにも、ロンドンにも同じ若者がいるだろうよ。

さあ、発見せよ、そして、発明せよ!世界は君たちを両手を広げて待っているぞ!あとは君の手が拳なのか広げた手なのかだけなのだ。

トゥーランドットという戯曲のテーマは何か?まだ「愛」だなんて思っていないか?テーマは「愛」ではないぞ!

答えは戯曲の中に沈んでいる。
答えは為し得た事実の中にある。
答えは他者の中にある。今が過去の集積ならば、未来は今の集積だ。

さあ、発見せよ、そして、発明せよ!

人は思ったとおりになるのだ、良くも悪くも。ならば世界は君の思い次第だ。私はそう思ってトゥーランドットを続けてきた。ならば君たちもそう思え。世界は君の思ったとおりになるのだ、良くも悪くも。

でもそれにはたった一つだけルールがある。それは簡単な事。君たちがこれからやることが「誰かのため」になっているのか。このルールさえ守れれば多分胸を張れる生き方が出来るよ。それを続けた人間が2割を超えれば世界の8割を変えるられるのだそうだ。何とも壮大ではないか。何ともわくわくするではないか。

私は皆にそんなどきどきする思いを抱き続ける人になってもらいたい。

昔、音楽はレコードで聴いた。それがカセットテープになり、CDになり、MDになり、今ではデータで音楽を聴いている。そしてその音に慣らされ疑問にも思わなくなるのだ。熱湯に蛙を放り投げるとあまりの熱さに鍋を飛び出す。でも蛙を入れ水から徐々に煮立つとあら不思議、蛙は環境に慣れちゃってそのまま煮立つとさ。
一度で良いから真空管のアンプでレコードを聴いて欲しい。その後同じ音楽をデータで聴いて欲しい。あまりの差に驚愕するよ。

豊かさとは何か?演劇を正しく使うとそのことに気付きます。皆さんはトゥーランドットでその事の一端を経験しました。しかしまだまだ一端だよ。この夏、本当は何があったのか?自分たちが出来たことは何だったのか?少しでもそれがわかれば次のことがわかりはじめます。

自分たちが出来なかったことは何だったのか?

それがわかればあなたは確実に人として成長します。

あなたの未来に期待しています。

 

お疲れ様でした。