サロメ-オーケストラ版 ロングインタビュー Vol.2

演劇ライター・徳永京子 X 俳優 倉知成満・俳優 黒木美奈子

2007.6.3 横浜急な坂スタジオで収録

徳永京子(とくながきょうこ)
演劇ライター。数年間のOL生活ののち、広告プロダクションでコピーライターに。独立し、フリーライターになってからは演劇を中心に、雑誌やパンフレット等に原稿を書く。主な掲載媒体は『シアターガイド』『weeklyぴあ』など。
X
倉知成満(くらちなりみつ)
劇団青俳演技研究所に入所。その後映画・舞台を中心に活躍。「バトルフィーバーJ」、NHK大河ドラマ 「峠の群像」「太陽にほえろ」等に出演。舞台は「殺人のリハーサル」(シアタークラッシックス)等
黒木美奈子(くろきみなこ)
文学座附属演劇研究所を経て、MODEの旗揚げに参加。「わたしが子どもだったころ」「きみのともだち」をはじめ出演多数。最近の出演作は「夢十夜」(龍昇企画)「新型・開運ラジオ」(アル☆カンパニー)など
 

徳永

お二人には役者さんの立場からルーデンスのお話とサロメのお話を伺いたいと思っています。まず、黒木さんは今回がルーデンス初参加ですか?

黒木

ええ、お名前は存じ上げていたんですけど、失礼ながら拝見したことはなくて。

徳永

倉知さんは?

倉知

僕は第一回目の「サロメ」の時にオファーがあって、その時に鬼剣舞というルーデンスが肉体訓練で使っていらっしゃるメソッドの稽古に参加しました。
それと脚本を軽く読み合わせたんですが、肝心の公演は僕の都合で参加できなかったんです。

徳永

一回目の「サロメ」から今回まで、時間が長く空いていますよね。

倉知

ええ。それでも声をかけていただいたのはうれしかったんですが、実は最初は「嫌だ」ってお断りしたんです(笑)。

徳永

何か前回、懲りるようなことが?(笑)

倉知

いえいえ(笑)、その時は全然「懲りた」とか、そういうことはありませんでした。
朗読などの会には出ていたのですけど、僕ももう年ですし、しばらく舞台からは遠ざかっていたので、身体的な問題ですね、心配したのは。舞台となると、
やっぱりキチッと板の上に立つ体になっていないとだめじゃないですか。それで「大丈夫かな?」と。そうしたら田辺さんが「大丈夫ですよ!」と力強く
言ってくださって。 まぁ、自分でも以前から「サロメ」はちょっとやってみたいという気持ちがありましたし、舞台はこれが最後のチャンスかなという想いも
あって、田辺さんのしつこい説得(笑)をお受けしました。

黒木

そうなんです。私も即答したわけじゃなくて、急なお話でもありましたし、最初はいろいろな意味で「ちょっと難しいです」とお返事をしてたんですけど、
粘りますよね、田辺さんは(笑)。
私は、もともと劇団に長く所属していまして、あまりいろいろと外で挑戦したいと思う方ではないんですよ。田辺さんには今年の二月に初めてお会いしたん
ですけど、それは、私が三月に出演した公演の稽古場に剣舞の指導に来て頂いいたことがきっかけだったんです。そのあとで急に「うちに出て
くれませんか?」と言われて「え?」と。今でも「え?」という感じなのですが、何が(オファーを受けた)決め手かと言うと、あまり難しいことはなくて、
そんな急に見ず知らずの私を誘う田辺さんはおかしな人だなと思って決めました(笑)。

倉知

おかしくて、頑張ってるおじさんです(笑)。お芝居をずっと続けていくということがどんなに大変か、僕も自分の経験からよくわかっています。それをずっと
実行してきて、今回がもう25回目の公演でしょう。素敵なおじさんだな、頑張ってるなと思いますよ。じゃあ、どんな力が貸せるかわからないけれども、
下手っぴは下手っぴなりに、ちょっとでも協力できればということで(出演を)決断したというのはあります。


徳永

「サロメ」は昔から有名な作品ですが、今回はまさに「ルーデンス版サロメ」で、表現方法も作品の解釈も、いわゆる普通の「サロメ」とは全然違うのでは
ないかと思います。今、稽古をしながらその辺の戸惑いは感じていらっしゃいますか?

倉知

ルーデンスときちんと一緒に稽古をするのは初めてですが、きっと田辺さんの世界の中に、僕を「素材」としてうまく放り込んでくれるんじゃないか考えて
いまして、そういう意味では、それほど心配しなかったですね。僕は僕で、脚本を読んだ印象から受ける役作りみたいなことをやっていればいいのかな
という風に思っていました。

黒木

私は逆で、今までやってきたものとはちょっと違うタイプのお芝居なので、戸惑いながら稽古しています。ただ、経験したことがないことはワクワクすること
でもありますよね。不器用な役者でダメなんですけど、この新しい経験を楽しめるといいなという気持ちでいさせてもらっています。

徳永

お二人の役柄について伺いたいのですが、倉知さんは……。

倉知

ヘロデ王です。

徳永

田辺氏さんは「ルーデンス版サロメ」は家族劇で、父親、つまりへロデ王を主眼においた話だとおっしゃっていますが、そのヘロデ王を演じる倉知さん
からご覧になって、田辺さんが構成された「ルーデンス版サロメ」はどのようなお話だと思われますか?

倉知

「ヘロデという父親の目を通した「サロメ」を作りたい」という話は聞いていますが、まだ僕自身、はっきりと納得できてはいないんです。原作を読むと、
中心にあるのは“果てしなき欲望”だと感じるんですよね。そのことと田辺さんが作ろうとしている“家族”の話は、ちょっと反するところがあると今はまだ
思うんですけど、それが田辺流ということになれば、観ている方は納得されるのかなと思う部分もあります。最近通し稽古をしてみて、少しそれが
わかりかけてきてるかなという状態です。

徳永

確かに普通は、「サロメ」はファムファタル的な少女のゆがんだ愛情を描いた作品、つまり今、倉知さんがおっしゃった“果てしなき欲望”という
受け取られ方をしていますよね。それを“現代の家族劇”として解釈する田辺流は、とても面白いと思ったのですが。

倉知

現実社会にはもうそういうことが起こっているわけですからね。「サロメ」以上のことが。そういう意味では、着目の仕方としては面白いと思います。
そして我々が作っていく舞台が、どういう風にお客様の目に映るか、観て頂いて現在社会と舞台とがオーバーラップするところがあってくれればという
願いはありますけどね。観終わったあとで「じゃあ、自分達はどうすればいいんだ?」ということを皆さんに考えていただきたいと、そんな風に思います。

徳永

黒木さんのお役についてもお聞かせください。

黒木

王妃ヘロデヤを演じます。「サロメ」という作品、それから田辺さんの作る「ルーデンス版サロメ」という作品──今回出演交渉があった時に田辺さんは
「家族」を描きたいということと、きちんと関係を取った芝居にしたいということをとても強調しておっしゃっていたんですね──、そこに私がなぜ呼ばれた
のかということを考えると、受け止め方が難しくて……。
「サロメ」の設定で言うと、登場するのが王であり、王妃であり、王女でありという特殊な世界ですよね。そこに家族を重ねる時に、今いろいろと
試行錯誤している最中です。結局、最後は“果てしなき欲望”という形になってしまうわけですが、でも、その時代の王族の人たちにとっては割と
日常茶飯事のことだったかもしれないと考えると、家族の話として考えていい部分は充分にあると思うんですね。だからこそ、その重ね具合に苦しんでます。

徳永

なるほど。

黒木

この家族は、それぞれに強い欲望がありますよね。サロメもヘロデもそうですけど、ヘロデヤも凄いじゃないですか?欲望があるゆえに、自分の義兄と
結婚したんでしょうし、ずっと変わらずにヘロデ王にも執着があると思うんです。
今回、私が一番そうしたくなくてどうしようかなと思っているのは、いわゆるパターンのヘロデヤ像にはしたくないということなんです。欲望や嫉妬の
裏返しに強い愛情があるし、ヘロデに対しても憎しみや嫉妬があるけれども、やっぱり愛情をすごく持っている。サロメは大事な娘で可愛い、だから
余計に激しく憎んでしまう、妬んでしまう……。そういう両面性が出せたらいいなとは思っています。

徳永

私自身、原作では王妃ヘロデヤがとても興味深いと感じました。夫がもう自分に関心がないというのはわかっているじゃないですか?それでも少ない
可能性に賭けようとするのがけなげだし、嫉妬の対象である娘は、自分の血を引いているから彼女の美しさに誇りも持っている。

黒木

サロメとの関係は、親子であっても同性で、どこかで極端に女性同士の関係に飛んじゃうようなところが背中合わせにあると思うので、それを出すのは
とても難しいと思っています。

倉知

でも、実際の女性の中にもヘロデヤのような部分がありますよね。

黒木

あります。決してヘロデヤが特殊ではないですね。
それから彼女には、若さに対しての想いとか、老いに対する恐怖もある。お芝居は結局、人間の孤独とか小ささとか、そういうものを描いている作品が
多いと思うんですね。だからこの「サロメ」も、ヘロデもヘロデヤも、物凄く強い欲望を持っている人間なんだけれども、物凄く孤独で、物凄く小さくて、
というものが何か見えるといいのかなと思ったりしています。

徳永

そういう意味では、やはり孤独な家族像が浮かびまよね。

黒木

そうですね。だからこそ寄り添いあえれば、と思うし、田辺さんが今回、この物語を“再生”にもって行きたいと言うのはそういうところなのかなと考えたり
しています。

徳永

お話を伺って、「難しい」と言いながら役についてすでに深く考えいらっしゃることがわかりませた。お二人の演じられる御夫婦が楽しみです。

黒木

言うは易しですけど(笑)。

倉知

ありがとうございます。御期待に沿うように(笑)


徳永

提示された“家族の物語”に向かう、田辺さんの演出はわかりやすいですか?

黒木

私はわかりやすいですね。とてもやりやすいと思います。稽古は、とにかく試してみてダメだったらダメで、それがたくさんできることがいいと思うんです。
迷っている時間がもったいない。田辺さんの演出はタッタッタッタと進んでいく感じなので、解りやすいです。

徳永

倉知さんは?

倉知

僕もそう思います。ちゃんとビジョンを持ってらっしゃるから、そういう意味ではすごくわかりやすい演出です。


徳永

今回「オーケストラ版」とタイトルにも付いていて、オーケストラが大掛かりな形で入ってくる、つまりただのBGMではなくて、かなり有機的に役者さんと
繋がりを持ちながら音楽が存在する作品になるということなんですけど、その点については? 

黒木

(合同の稽古が)まだ始まっていないので、何とも言えないんですよ。

倉知

昨日、オケ(オーケストラ)の練習があって、僕はちょっとだけ覗いたんですけど、印象としては、僕らの芝居を音楽に助けてもらえるような気がしました。
ただ、実際問題として、(オーケストラがいるために)完全暗転ができなかったりという問題も生じています。通常なら、オケピットがあってその後ろに舞台と
切り離されてるじゃないですか?それが今回は、舞台があって同じ空間にオーケストラの皆さんがいらっしゃるわけで。そういうこともあって、上演中に
こっち(役者)の方にお客さんの視線が来なくて、奥のオーケストラの方に目が行ってしまうこともあるでしょう。それでも、これだけ小さな集団の芝居で
生の音楽とは、本当に贅沢だと思います。

黒木

本当にそうですよね。

倉知

生の音のバイブレーションみたいなものと俳優の想いとがうまく噛み合って行けば、それは素敵な舞台になるんじゃないかなと思っておりますが。

黒木

確かに助けて頂けるだろうと思うんですけど、怖いのは逆に生音に負けてしまうんじゃないか、飲まれてしまうんじゃないかということですよね。生で音が
入ってくれば、観客の意識もそちらに向いてしまう。それに負けないようにするためには、自分にも余裕がなければダメでしょう。でもそんなに
(オーケストラと役者の演技を)合わせる時間がたくさんはないようなので、大丈夫なのかなという心配もあります。

徳永

「助けてもらえるかもしれない」と「負けてしまうかもしれない」というふたつの感覚は、役者さんの中ではせめぎ合いでしょうね。

倉知

本当にそうですね。

黒木

そんなに凄いオーケストラとお芝居が一緒に公演をするって、どちらかというと、やるよりも観てみたい(笑)。

徳永

私は見られます(笑)。

黒木

ラッキーですねぇ。


徳永

そろそろ衣装は決まっているんですか?

倉知

病院着にデコレーションしてもらった物が出来てます。

徳永

病院着?

黒木

検査着ですね。レントゲンに行く時にパッと羽織るものがあるじゃないですか。

徳永

簡単なガウンみたいな?

倉知

そうです、そうです。

黒木

ああいうものにデザイナーの田中さんが装飾を施して下さって。

徳永

それもまた「サロメ」のイメージっぽくないですね。どの程度の装飾か分からないので、何とも明言しづらいですが、病院で着る服、というイメージは
残っているんですか?

倉知

色がブルーで、そういうところに残ってますね、病院っぽさは。装飾はしても、もとの入院着から完全に違うものに見えるって事はないです。

徳永

王族だから裾が長いのかと思ってました。

黒木

そこは工夫されていて、若干、裾から下に生地を出して、女王様風のデコレートにはなっています。

徳永

ヘロデは王冠はしているんですか?

倉知

それは今、僕の友達に作ってもらっているんです。でも、いわゆる王冠じゃなくて……

徳永

もっと抽象的な形の?

倉知

そうです、そういう風になればと思って作ってもらっています。
僕、ヘロデとヨハネに共通点を感じてるんです。だから髪も多少ぼさぼさで行こうと思っていて、王様だからピタッとなでつけるということはしない
つもりです。そういう形の面でも、王様と父親をどうやって出していくか、それはこれからの課題になっていくと思います。


徳永

台詞についてなんですが、今回採用する翻訳が日夏版ということで、耳から聞いたり文字で読んだりするにはとてつもなく美しい日本語だと
思いますが、それを実際に、役として発する役者さんにとっては大きなハードルではないかと。

黒木

まさに、難しいです(笑)。

倉知

難しいけど、うまく出てくれればすごく良いんだろうなぁ。

徳永

黒木さんがおっしゃった「難しい」は、憶えにくいという意味での難しさなんでしょうか? それとも、つい形式に流れがちな文体としての難しさなんでしょうか?

黒木

気が付くと、どんどん言葉の力に引っ張られてしまいます。ですから、単なる“それ風”の言い方にならないようにしたいなぁと思っているんですけど……。
お芝居っていろんなタイプがありますけど、これまで私は“削ぐ”タイプの芝居をしてきました。たとえばこの「サロメ」では、ヘロデが王であるとか、
ヘロデヤが王妃であるといったことは、台詞にもある作品上の約束事ですよね。ですから書かれた台詞をこちらが淡々と話していれば、ヘロデは王で
ヘロデヤが女王だということは、お客さまに分かるようになっています。何か過剰に、王妃風の仕草を強調する必要はないわけです。
でも今回はちょっと、削ぎ落とすばかりでなく、何かをくっつけなくちゃいけないのかもしれない、という感触があるんですね。それをどういうバランスで
やるのか。もしかするとこの美しい台詞をそのまま喋るのではなくて、王であり王妃であると見える話し方があるのかなぁと。稽古場で田辺さんに
「そこ、抑えてゆっくり」とか指示されるんですけど、それだけでも王族の人に見えるかもしれないと。
それと田辺さんは、リアルタイムで言葉が出てくるような芝居にはしたくないようなので、今まさに探り中です。


徳永

倉知さんにお伺いしますが、倉知ヘロデはサロメをどの程度、女として意識するのでしょうか?父親の視点を作品の軸に据えた場合、そこは重要に
なってくると思うんですが。

倉知

150%くらいセクシャルな目ですよね。でもその裏に、セイントな部分、サロメを聖少女とあがめるみたいな気持ちも強くあると思います。肉体の欲求と
プラトニックな気持ち、それはどちらもすごくあって、僕が演じるヘロデのサロメに対する見方は、聖なる部分と俗な部分が一瞬ごとに変わっている
ようなイメージを持っています。そういう複雑な気持ちが塊となってくるくる回っていて、それにヘロデが翻弄されているような気がしています。

徳永

真ん中がない、非常にアンバランスな状態なんですね。

倉知

サロメの聖なる部分、俗なる部分、その両方に自分も共通するものがあるんだろうね。僕(ヘロデ)が惹かれるときは、サロメは僕と違う面を出している。
ヘロデとサロメはプラスとマイナスのようなものですね。

徳永

黒木さんは、ヘロデヤのサロメに対する気持ちをどうお考えですか?

黒木

サロメはヘロデアの20年前の姿だと思うんですね。自分が生んだ、とても大事な娘でもあるんですが、自分が時間とともに失くしてしまった物を全部
持っている。若さもそうですし、一番大きいのは、無垢さ、いろんなことに対して無意識なところだと思います。
たとえば媚態であっても、意識的に作った媚態じゃなくて、無意識に出てくるものがすごいというか。だからこそ、サロメが怖い。ヘロデヤにはもう絶対に
それが出来ませんから。そういうところから来る妬ましさであり、恐れであり、そして悲しさが、ヘロデヤがサロメに対して抱いている感情なんだと
思うんです。サロメを見るたび、「私だって昔はそうだったのに」という思いがきっとあるのではないでしょうか。
一番象徴的なのは、サロメが月に対して強い憧れがある。かつてはヘロデヤもそういう時期があったんでしょうけど、今では「月は月でしかない」と
言ってしまうんですよね。そこにはもちろん、台詞上だけの意味だけではないものを滲み出せればと思っているんですけど。

徳永

すっごく分かります!(笑) 「月は月です」と言ってるのは、ヘロデヤの大人の女性としての精一杯の知性ですよ。

黒木

虚勢でもあり(笑)。

徳永

人はいつまでも無垢ではいられなくて、それと引き換えに得たものが、内心の焦りや不安を隠しながら「月は月です」と言って、ヘロデの熱情を
冷ましたり、サロメの残酷さをけん制することだというのは、ヘロデヤがただのおばさんじゃない証拠ですよね。

黒木

ともすると“若さを失くした女の人”みたいに受け取られると思うんですが、私はヘロデヤの執拗さは可愛らしいと思うんです。だって諦めてない訳でしょ。
諦めてたら、何がどうなったって別に構わないわけですよ。無視すればいいんですから。それをなんとか、自分の力でなんとかしたいと思って「見ては
なりません」と言い続ける、その諦めの悪さは浅ましくもあるんですけど、女性としても人間としても愛おしさをすごく感じます。だって捨てちゃえば楽な
わけですよ。女も捨てちゃって、家族への想いも切っちゃって、執着しなければ人は楽に生きていけるじゃないですか。

徳永

年齢が近いせいか、私はサロメよりヘロデヤにシンパシーを感じ、可愛いく感じます(笑)。

黒木

年を取るって悲しい。それは若さを失い、死に向かっていくことですから。でもそこにこそ、人間の愛おしさがあると思うんです。それはヘロデをはじめと
する男の人もそうですよね。「若い子が好き」って若さに執着することですから、それは男の人の悲しさってありわけで。
ワイルドも「サロメ」でたぶん“人間”を描きたかったと思うんです、人間の寂しさとか愚かさとか切なさかとか愛おしさとか。それを今回、“家族”の話
としてそれぞれの人物が出せれば──。今はそう思っています。

倉知

僕も同感ですね。ルーデンス版「サロメ」は家族について問う作品になると思いますが、それは結局、“人間”を描くことだと思うので、お客さんに
そうした問いかけが投げかけられたらいいですね。