サロメ-オーケストラ版 ロングインタビュー Vol.2

演劇ライター・徳永京子 X 作曲 中村康隆

2007.6.3 横浜急な坂スタジオで収録

徳永京子(とくながきょうこ)
演劇ライター。数年間のOL生活ののち、広告プロダクションでコピーライターに。独立し、フリーライターになってからは演劇を中心に、雑誌やパンフレット等に原稿を書く。主な掲載媒体は『シアターガイド』『weeklyぴあ』など。
X
中村康隆(なかむらやすたか)

作曲家・中村康隆主宰のオーケストラ。2006年2月両国シアターXでの「夜長姫と耳男」公演を機に結成。同年6月三軒茶屋シアタートラムでの「身毒丸」、2007年3月特別公演「intolerance」を経て、本公演に望む。
音楽家40数名から公演規模、演奏曲の指向から15名から20名で編成。管弦楽中心ながら演奏はクラシカルな劇伴に留まらず、ジャズやロック、邦楽からより現代的なアンビエントやエレクトロニカにさえも及ぶ。その活動は、ロックバンドやシンガーとのレコーディングやステージでのコラボなどにも広がり、独自のカラーのあるオケとして、徐々に認知されつつある。DVD「夜長姫と耳男2nd」、「身毒丸」にてその演奏は堪能できる


徳永

私は音楽に詳しくないので、基本的なこともお聞きしてしまうと思いますが、まず最初に、中村さんは作曲家でいらして、演奏家ではない?

中村

プレイヤーでもあります。ギタリストとして、まあいわゆる普通のロックバンドみたいなのをやってまして。と言っても、結構変わった感じなんです
けれども(笑)。こちら(ルームルーデンス)では、基本的に演奏はしないで指揮と作曲っていうふうに、自分の中では分けて考えてやってるんですけど

徳永

もともと音楽の勉強は? クラシック畑ご出身ではないんですか?

中村

クラシック畑がどういうものか、よくわかんないですけど、3歳から11歳ぐらいまでバイオリンをやってまして、そのあとブラスバンドみたいなのとか合唱とか
やって。で、大学は早稲田の文学部。だから、演劇に関しては結構身近な感じはもともとあるんですよ。で、大学出た後にもう1回、音楽学校に入り直して、
そのぐらいから、(職業として音楽を)始めたという感じですかね。

徳永

かなり異色の経歴ですね(笑)。

中村

かなり異色だと思います(笑)。

徳永

そもそも「三歳からバイオリン」の段階で、すでに普通とは……。

中村

ああ、そうかそうか。そうですね、クラシックの人だと結構そういう人がいるもので。

徳永

そういう方がなぜ、早稲田の文学部に?

中村

その時は作家にもなりたかったんです。ずっと文学も普通に好きで、そっちは無理かなぁと思いつつ……。でも、(結果的に音楽の道を選んだのは、
作家になるのが)無理だから音楽に行ったというより、音楽の方が魅力的――自分にはやっぱり魅力が強かったってのが大きいですけど。

徳永

早稲田大学卒業後、また音楽の学校へ。そこでは作曲を勉強されたんですか?

中村

勉強というか、(その学校では)自分としては、色んな人とのつながりを得たほうの意味が大きかったですけどね。勉強は結構、独学でやっちゃった部分が
大きいです。オーケストレーションとかもそうでしたね。最初の授業の時に(自分で書いた)オーケストラのスコアを持っていったら、先生から「(人から)習うこと、
もうないじゃん」と言われて、「そうすかねー」みたいな感じだったんですけど(笑)。そこは普通の音大ではなくポピュラー系の学校だったんですけど。
クラシックの作曲家が集まってるところへ行ってクラシックの勉強しても、勝てる気がしないから。
僕は何に関しても基本的に、人と違うところに行くというか、隙間産業みたいな感じでやってきてるんですよ(笑)。だからロック(のフィールド)に行ったら、
クラシックの知識や技術を持ってる、そのエッセンスがわかるという部分で生き残れると思うし、クラシック(のフィールド)に行ったら、ロックやポップスとか、
普通の歌ものの良さがわかる部分で勝負できるかなぁと思って、ずっとやってるんですけど。


徳永

そういう活動の中で田辺さんとお知り合いになったんですか?

中村

田辺さんのインタビューにも書いてありましたけど、知り合いのヴィオラの人から紹介されてって感じですね。最初は田辺さん、「オペラの音源を打ち込みで
やりたい」みたいなことを言ってて、それをやるんだったらイメージに合うものを新たに作曲した方がいいんじゃないんですか、と提案したんです。

徳永

それはイコール「僕、やりますよ」という意味で?

中村

そうですね(笑)、もともと興味はあったんで。

徳永

舞台用の曲をつくるとか、本番で生演奏するとか、そういうことに対する興味ですか?

中村

ええ。早稲田の文学部でしたし、演劇に対する興味はもともとあったんです。それで、この機会を幸いに、是非やらせてください、みたいな感じで。 最初に
田辺さんとお仕事をしたのが「夜長姫」のファーストですね。田辺さんのインタビューではセカンドからみたいに書かれてたと思うんですけど、ファーストで
1回、打ち込みの形でやっています。

徳永

ルーデンスの前に、演劇に参加されたことは?

中村

もっぱら見るばかりでした。専門の方に比べたら全然素人なので、大したことは知らないんですけれど、寺山(修司)さんとか岸田理生さんと、万有引力とか
流山児事務所が特に好きですね。スタッフとして参加したのは、ルーデンスが初めてですね。ちょっと手伝いしたことはあったんですけども、きちんと
音楽監督みたいな形でしっかり入ったのは、ここが初めです。

徳永

演劇がお好きでいろいろ観ていらしたら、例えばどこかの舞台を観ながら「これに音楽つけたいな」とか「自分だったらこういう音にするのに」みたいな
ことはいつも頭に浮かぶんじゃないですか?

中村

それはありますね。演劇に限らず、映画を観てても音楽のことを考えてしまう。やっぱりそれ(音楽)は、いつも、何に対しても絡めて考えちゃいます。

徳永

特に演劇の音楽に関して強く考えていらしたことは?

中村

劇場って日常じゃないじゃないですか。だから、ある程度異常なことも許されるっていうか、特にこういう──アングラという言い方をしてしまっていいのか
わかんないんですけど(笑)──ルーデンスのような作品は、普通のストレートの演劇とはまた違って、音楽が勝負できる部分が色々あると思うんです。
そういう点で興味はすごくありました。

徳永

田辺さんとお話しした時にもお伝えしたんですけど、ここ数本のルーデンスの音楽へのこだわりに私は驚いたんですね。「音楽にこだわりたい」と言う
演出家の方はいらっしゃいますけど、こだわりの深さが違うので。

中村

日本の演劇の音楽って、こだわってないほうが多いと思いますよ。音楽畑から厳しく見ると……って意味ですけど。第一線で活躍してる方でも、わりと普通の、
ありものの曲を使って済ませちゃってますよね。それは、僕からしたら逆に驚きなんですよね。どうしてもっとオリジナルを作らないのかなって。そこに
予算が取れる舞台だってあるじゃないですか。

徳永

観客として客席にいる時の中村さんのそういったフラストレーションが、今のこだわりにつながっている?

中村

フラストレーション……うーん、「自分で表現してみたい部分」ですかね。劇伴(ドラマの伴奏音楽)とかアニメの音楽とかを、これまで仕事でやってきたん
ですけど、それとはまた違う部分、演劇の異常性というか普通じゃない部分、瞬間瞬間のテンションに、やっぱり惹かれますね。 それは不思議な興味
なんです。演劇が好きだってさっき言いましたけど、その一方で、自分と相容れない部分、理解できない部分があるのも事実で。「何でこんなに一生懸命
やってるんだろう?」とか、すごく不思議に感じるんですよ。もちろん、ミュージシャン、バンドマンが頑張って演奏している姿を傍から見たら、同じように
「何でこんなに?」と見えるのかもしれないんですけど。でもルーデンスは、特に体育会系というか、メンバーのつながりを重視する劇団だと思うので、
まず同じ釜の飯を食うみたいな感覚とか、芝居を打つために物凄くバイトをするとか、「この情熱は何なんだろう?」と思いますね。大学時代、周りに
そういう人はいっぱいいましたけど、今も一緒に作業しながら、どうしてだろうと思ってるんですけどね(笑)。

徳永

理解できないけれど惹かれて、一緒に仕事をしていると(笑)。

中村

だって僕は普段、ゆやよんってバンドをやってるんですけれど、渋谷EASTってハコ(ライブハウス)でやると、キャパが大体1500人なんですよ。つまり
一晩で1500人が見られるんですけど、ルーデンスはそれを1ヵ月から2ヵ月のリハーサルをやって本番が1週間とかで、トータルで1000人のお客さんに
見てもらう状況じゃないですか。だから1回の公演につき、お客さんが100人とか200人。それって、とてつもない労力のかけ方だと思うんですね。
そう言いながら、俺もこれだけの人数集めてオーケストラ組んで、作曲やって編曲やって、労力かけちゃってるんですけど(笑)。もちろん田辺さんも、
(観客数は)そこで収まるつもりはないと思いますし、上に行こうとなさっていると思うんですけど、その一瞬にかける集中力、そのパワーはすごく不思議です。
でも、そういう方らとコラボレーションというか共同作業をしているわけで、それをする限りは「曲を作りましたから、はい、どうぞ流してください」じゃなくて、
実際に同じ舞台に立ちますから、結局は「同じ釜の飯を食うよ」ということになっていますが(笑)。


徳永

それにしても、そもそもなぜオーケストラを集めて舞台上で演奏しようと?経費やスペースも大変なのは目に見えているのに、あえてそれをやって
いらっしゃるのはなぜですか?

中村

やっぱり有機的だからだと思いますよ、オーケストラが。演劇がどうして生でやってるかってことと一緒です。「録音した音楽を流しておけばいい」という
考え方は、僕からしたら「演技したビデオを流してればいい」っていうのと一緒なんです。音楽もやっぱりそうで、生の演奏にかなうものはない。

徳永

でも、ですよ。音楽って、録音と再生に関しての技術が非常に発達したジャンルじゃないですか。

中村

そうですね。

徳永

例外的に自分の歌や演奏はレコーディングしない、ライブがすべてなんだというオペラ歌手や演奏家もいますが、一般的には音楽は録音&再生とセットで
考えられていますし、それに付随する機械のレベルも高い。だから生の舞台で録音した音楽をかけることに抵抗を感じない人が多いと思うんです。
でも演劇はそうではなくて──劇団☆新感線さんなど、カメラを何台も入れて、あとから映像でも楽しめるように工夫している劇団もありますが──、
いまだに圧倒的に中心にあるのはライブです。 だから中村さんがルーデンスでなさっていることにとても驚いたんです。ミュージカルやオペラは生演奏
ですけど、オーケストラはオーケストラ・ピットにいますし、舞台上にオーケストラがいて音楽が演者と絡むという発想が、私にとっては飛躍的でした。

中村

究極的な話をすると、音楽もライブの完全な再現は無理なんですよ。いくら音楽が録音と再生の技術を発達させていても、それは出来ないでしょうね。
だから俺の場合は、それ(録音して再生すること)が前提だと考えたら、最初からそのためのプロセスをちゃんと組みます。

徳永

録音&再生用の曲を作る、アレンジをするということですか?

中村

はい。夜長オーケストラでレコーディングする場合も、そういう風にきちっと処理をして、複製品であることを前提として作るようにしてますし。(ミュージシャンの
選定も)舞台に乗る人とレコーディングする人を分けてたり、色々考えてはいるんですけどね。だって(舞台上で演奏することは)ものすごい悪い環境
じゃないですか。明かりが(楽譜に)届かないかもしれないし、(全部の観客に)聴こえないかもしれないし。

徳永

音楽ホールのような環境からは程遠いですよね。

中村

特に体育館なんて、低音がボンボン行っちゃうし、すごくやりにくい環境なんです。レコーディングでこそ真価を発揮するミュージシャンもいるので、
そういうことを踏まえて人選したり、色々と段階を踏まえながら、ライブも録音も、最終的にはみんなが納得できるものを作りたいと思ってますけど。

徳永

作品世界に深く入り込みながら演奏するということで、オーケストラの立場で考えていらっしゃることはありますか?

中村

この舞台は、役者もプレイヤーもお客さんから同時に見えるんですよね。同じ空間を共有している。それはもう分けようとしても分けられないし、
(むしろ積極的に)一緒くたになっていくしかないと思います。そういう意味での(観客の)反応はプレイヤーも感じてるし、そうじゃなきゃ面白くない。
だから役者も、音に対して反応できるぐらいになって欲しいと思います。それが出来るレベルの人はまだ少ないと思うし、生でやってるんだから、
音楽に反応できる深みは持っていって欲しいかな。そうじゃないと一緒にやってるって意味ではないですね。一方的な作品になってしまいますから。

徳永

演奏家も出演者ということですね。

中村

でもやっぱり、ミュージシャン側と演劇側の温度差っていうか、いろんな感じ方の違いは端々にあるので、そのなかでうまく作品として昇華できるかの
問題はありますね。生でやっているから面白いっていうのは、大きい共通点としてありますけど。

徳永

同じ作品の出演者として一緒に舞台上にいても、根本には温度差があると?

中村

いやもう、感覚的には全然ちがうと思いますよ。芝居は、例えば2ヵ月間とか、脚本もらって練習するじゃないですか。でもここにチェリストが一人いると
しますね。その人はここに来るまでに15年間ぐらい練習してきてるわけです、楽器を。その成果を、一枚の譜面をもらったときにパッと出す。その一瞬に
その人の真価があるわけで、2ヵ月間同じ釜の飯を食うかどうかっていうのは、彼にとって本来は関係のないことなんですよ。「演劇の練習を見て欲しい」
という田辺さんの希望はよくわかりますけど、クラシックのプレイヤーからすると、役者さんたちが芝居しているのを如何に一瞬で吸収して、如何にその場で
すぐに表現できるかってところに自分の能力が出てくる。その時間感覚の違いは、ものすごく大きいでしょう。

徳永

なるほど。

中村

そこを簡単に「あの人は(稽古の)2ヵ月いなかったよね」って話だけで切られちゃうと、全然違うんですよ。その15年間に対する敬意は基本的に持って
欲しいと思います。 最初はやっぱりそういう、時間の感覚であるとか、経済的な観念であるとか、物事の捉え方であったりっていう、お互いのコンセンサスの
取り方っていうところでのひずみは、かなり大きかったですね。 ただ、たまたまその窓口になった俺と言う人間が、良い言い方をしてしまえばどちらも
理解できるし、どちらの言ってることもわかる。コウモリじゃないですけど、もともと自分自身、クラシックとかロックとかり狭間にいますから。そういう意味で、
ある程度あらゆることに客観的でいられたっていうのと、知っていれば知っているほどその人に合わせた曲ができるという、人間的な部分でつながってる
人が多い。

徳永

ミュージシャンを知っているほど、その人に合わせた曲ができるというのは、劇作家の方が役者さんに当て書きするみたいな感覚なんでしょうね。

中村

そうでしょうね。それで少しずつ音ができていくみたいなのがありますね。
まあ、オケ的にも問題というか、能力的な差とか、アンサンブルって部分とか、問題は色々あるんですけれども。それでもこうやって集まってやれるって
ことに関しては、奇跡じゃないですけど、かなり特別なことだと思ってるし、それをうまい形で作品として昇華できていければなあとは思ってます。


徳永

具体的な曲についてなんですけど、中村さんがルーデンスの作品のためにつくる曲は本当に色んなジャンルがありますよね。つくり方として、作品の
イメージに合わせてつくる、そして今お聞きしたミュージシャンに合わせてつくる、という方法がある。それ以外に、例えば「今回の作品に共通させるテーマは
これ」といったイメージがあるんですか?

中村

一応は考えますね。自分勝手に作っててもしょうがないと思うので。作品に合わせて、という部分では、芝居の練習を見せてもらって感じるところを自分
なりに解釈して対応するみたいな。ただ、ジャンル的な部分では、そんなに幅広くはないと思いますけどね。

徳永

そうですか?

中村

スタジオミュージシャンとか、そういう作曲家の人とかは、ある程度色んなジャンルができると思いますけど、僕は自分のフィールド――得意な部分だけで
やってるって感じがしてます。(自分の作品になったものは)もともとそういうものが好きだったっていう、そういう曲が多いと思いますよ。

徳永

意外ですね。もし私が作曲家だとして、たとえば「夜長姫」を「この作品はワルツだな」と思ったら、色んなワルツのバリエーションを作るというか、「今度は
「サロメ」やるけど、ジャズで行こうかな」と考えて色んな年代のジャズから アイディアを拾ってきたり、自分が考える未来のジャズをやろうとか、そういう
展開があると思うんです。だけど中村さんはそうじゃない、ジャンルそのもののバリエーションがあると感じたんですが。

中村

今の話で言えば、我々(夜長オーケストラ)がジャズをやったとしても、どういうジャズになるかっていうのは大体わかるから、バリエーションにはならないと
いうか。だから……なんて答えればいいんだろうな……つまり、自分の中では既存の音楽のジャンル分けではなくて、色合い──例えば「青系」という風
に分ける意識が強い。

徳永

ああ、なるほど。

中村

あとは得意分野と、自分の癖とか味とかっていうもので作っていると思うので、そんなにバリエーションが出来ているとは思わないです。けど、これまで
生きてきた中で、色んなジャンルの人たちと触れ合ってきてるんで、エッセンスとしてはいろんなものが、多少は自分の中にあるのかもしれないですけど。

徳永

だとしたら、好きなものや影響を受けたものが多いんですね。 ルーデンスは、いわゆるアングラの匂いが強いですから、音楽もそういう曲調に引っ張られる
のが多くても不思議はないんですけど、中村さんの作る曲はオーガニックなものもあったりするから興味深いです。それも、昭和のオーガニックが
あったり、今のオーガニックがあったり。

中村

そうかもしれませんね。(オーガニックな曲は)好きは好きですから、自然に出てきちゃってるんじゃないかな。

徳永

舞台から受ける一般的な印象から、音楽が自由でいるのがいいですね。

中村

今度の「サロメ」で「サロメの歌」っていうのを作ったんですけど、せっかくだからポップにしようと思って作ったんです。俺なりの解釈で、すごくきれいな曲をね。
でも実際の場面で見たら(その曲の演奏シーンで)やっぱり首を晒してたりしてる(笑)。もちろん話の展開はわかってて作ってますけど、そういうギャップ
みたいのも面白いと思うし、それを楽しめないとやっていけないですよね。

徳永

曲作りの基本として提示されたものを、ある時は誤読されたり深読みされたりして作業されるわけですね。

中村

それを含めてのコラボレーションだと思います。ある意味、演出家といったら演劇では神様のような存在じゃないですか。でも、そういう立場とは違う、
若干言葉は悪いですけど、冷めた存在は必要だと思うんですよ。異質物が入り込んじゃってる部分が逆に作品の深みになるというか。あえて誤解を
生んだままにさせている懐の深さみたいなものになれるといいと思いますけどね。ただのギャップじゃなくて。 田辺さんは、もともとすごいケレン味の好きな
演出家でしょう。だからある程度冷めてる距離感を取るというか、自分なりに良かれと思うことをやっていくしかないですよね。逆に、ああいう方とやるからこそ、
十何分間ずっとフォルテシモの連続みたいな──あれは普通はやりませんからね。プレイヤーのことを考えたら飽きると思うし(笑)、一番盛り上がる部分は
やっぱり2〜3分に納めるべきだと思うし──ことは、彼によって自分の中から引き出されたものだと思うので、ものすごく有り難いですね。


徳永

オーケストラの皆さんに対する考え方、立ち位置は、完全に音楽監督ですか?

中村

そうですね。オケに関しては責任を持たないといけないし、音に関する限りでは自分が演出家です。

徳永

今回の「サロメ」の楽曲は、結構、難しめだと聞きましたが。

中村

ちょと難しくなっちゃいましたね。でも、それは演奏が難しいという意味であって、内容的にはシンプルだと思いますよ。俺、シンプルでポップなものが
好きなんですよ。クラシックの、たとえバッハだろうと、そういう尺度で考えようと思ってますから。 (あるフレーズを)繰り返すとか、スケールとか、そういう部 分で
ポップになり得るようにと考えてつくってます。中身の濃さとかは、解釈も含めて人によって感じ方が色々あると思うんですよね。同じスコアを見たとしても、
色んな人の色んな考え方が──見る人の思想とか文化とかによって──、色々あると思うんですよ。その中で自分としてはポップなものを作ってるつもり
ではあります。演奏が難しくなっちゃったっていうのは、パーツの組み合わせ方かな。自分的にはポップだと思うし、聴いた方にもそう感じてもらえるんじゃ
ないかと思いますよ。

徳永

いわゆるコンセプトはあるんですか?

中村

どの程度の和、和もののテイストを入れていくかは悩みましたね。オーケストラの楽器を使う以上、制約も色々生まれてくるし。 でも、どこまでは和もので、
どこからがそうでないかってことは微妙なんですよ。昔、モンゴルに遊びに行ったことがあるんですけど、その時に日本の音楽のルーツだっていう音楽を
聴かされて、それまで日本のオリジナルだと思ってた部分がそうでもなかったんだと知ったんですね。それ以来、常に変わり続けていく音楽性みたいな
ものを肯定できるようになったんですけど、今もこういう(欧米化された)文化の中で、西洋のポップスがたくさん入ってくるという状況がある。俺は能とか
雅楽とかに関して知ってることは少なくて、それらの知識はこれから勉強していけば得られますけど、でも結局、自分の手足を伸ばせる範囲は決まってると
思うんで、それを肯定していきたいというか。21世紀の日本で生きてる自分が知ってる音楽、音楽性というものを、伝統とか国民性とか、そういうものが
感じられないからといって否定しなくていいんだと思ってるんですよね。そういう、ある種の開き直りがないと「サロメ」みたいな音楽はできないんじゃないかな。
オスカー・ワイルドはやっぱり19世紀の作家であり、デカダンであり、なんで今の日本でそれを上演しなきゃいけないのかっていう疑問を持たれる方もいる
かもしれないけど、それに対しては、ある種のハッタリというか、自分の意識の中で常に肯定していく作業がないとダメだと思うんですよね。真面目にやろうと
思ったらロマン派の曲とか書けばいいのかもしれないけど、だってロマン派そんなに好きじゃないし(笑)みたいな、自分を許してあげようみたいなことですかね。

徳永

具体的にはどんな意識で和ものを採り入れたんでしょう?

中村

和洋折衷みたいな感じになってますけど、それが自分なりの「サロメ」だっていうことですね。

徳永

この「サロメ」を経て、最初に田辺さんとの間に感じたわだかまりは減ってきましたか?

中村

それはわからないですね。お互い、良かれと思ってやっているので、それが間違った方向に出ちゃうこともあるでしょうけど、他の人がやっていないことを
やってるという自負なり面白さは、どちらにもあるでしょうし。まぁ、いつまでも試行錯誤ですけど。 演劇をつくる作業で、演出家の要求に対して役者が
応えていく作業も対話だと思うんですけど、最終的に出てくるのは、やっぱり演出家の意図じゃないですか。それに対して、ここまで違和感のある人間が
入り込んでしまっても、作品として面白いものができるかもしれない。そういうコラボレーションが生まれるやもしれないってところが面白いんじゃないかな。

徳永

ルーデンスとのコラボレーションは、今後も前向きに考えていらっしゃるわけですね。

中村

新しいものが生み出される希望がある限りはやりたいですね。つまんなくなったらやめますけど(笑)。何でもそうですけど、新しいものを吸収したり、表現
しようとする意志のない人はダメだと思うんですよ。音楽でも芝居でも何でも。そういう意味で面白味がなくなったら、違う人と一緒にやります。
コラボレート自体がセルフパロディみたいになってったらつまらないですからね。そういう意味ではわりと冷たい人間です、俺は(笑)。

徳永

今回の「サロメ」で演奏家の課題は?

中村

それはもう、ひたすら練習してください、という。(演奏の環境など)状況としてもひどい要求をしてると思うんで、一概には言えないんですけれども、
せっかくのこういう機会をお互いに有意義なものにするためには、やっぱり練習してお互いに磨き合っていかないと。

徳永

役者さんが音に反応することが必要とされるように、演奏家の方たちも役者さんに反応していくことは、当然求められますが、その点については?

中村

純クラシックのプレイヤーに関しては、やっぱりそれは難しいんですけど。ただ、難しいなりにもその場の雰囲気、空気を読まないプレイヤーはダメですよね、
クラシックであれジャズであれ。殺気を帯びた殺人者が包丁を持って立ってるのに、関係なくユーモレスクとか弾いていられるようなプレイヤーがもしいたら、
俺、よくわかんないです。かなり低い確率ですけど、逆にその人は天才かもしれないですけどね(笑)。